皆さんはスランプに陥った時や病で苦しく辛い時に自分の人生は真っ暗闇だと感じたことはありませんか?かくいう私もうつ病で苦しみ何度も休職と失業を繰り返し、そんな感情を味わった一人です。孤独死の恐怖も味わいました。
現在放映中のNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』は、ヒロインが三世代という異例の朝ドラで人気のようですね。そのドラマでは棗黍之丞(モモケンこと尾上菊之助)妖術七変化で決めセリフを言っています。
「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある。」
この言葉にトランペットを吹けなくなった大月錠一郎
(オダギリジョー)さんは救われます。
私にとって、黍之丞の言葉の代わりになっているのが『神の慮り(おもんばかり)』という作者不明の詩です。今日はそれを皆さんにご紹介したいと思います。
『神の慮り』 作者不詳 神渡良平訳
大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと神に求めたのに、謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに、
より良きことができるようにと、病弱を与えられた。
幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして、成功をもとめたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった。人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、
むしろ人生を味わうようにと、シンプルな生活を与えられた。求めたものは何一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられていた。私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されていたのだ。
引用:ニューヨーク州立大学病院の壁に書き残された詩
私は世間からはアラフィフと呼ばれる年齢になりました。人生を振り返ってみると本当にこの詩の通りだと痛感します。
病で苦しんだ自分は、病の辛さを知り、その分他人に労わりの気持ちを少しを持てたのではないかと思うのです。
この世の中は相対的で、陰があれば陽があり、暗闇があれば光明もある。闇を知らずして光を知ることはできないのだと思います。
仏教では逆境の時こそ、自分を成長できるチャンスだと教えています。反対に順風満帆の順境の時こそ、気を引き締めて過ごすべきだとも。これは、順調に行き過ぎている時は慢心に陥りやすい為だと思われます。
私がそうだったように、病や辛さという逆境という状況を少し視点を変えてみると楽になるかもしれません。
今の辛い苦しい気持ちが、今日のこのブログで少しでも楽になるように願っています。
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